=ご挨拶=

 

宝塚で税理士をしています正木宏明と申します。

 

マサキ 税務会計事務所のホームページをご覧いただきありがとうございます。

 

少しだけ私の略歴の話にお付き合い下さい。

 

 

私は大学を卒業後、市田㈱という東証一部上場の会社に入社しました。

「きもののいちだ」といえばご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

入社年は平成4年で、その頃はまだ少しバブルの余韻が残っていたように思います。

 

勤務地は大阪の本町でした。

配属はアパレル事業部というところで、婦人服の営業をしていました。

出張が多く、週の半分は営業に飛び回っていました。

 

大阪商人の街、船場のど真ん中で商売とはどういうものかを身をもって勉強しました。

社会人としてのマナー、心構えも教わりました。

 

最終的に市田㈱には約8年間お世話になり、その間にいろいろなことを経験しました。

市田㈱時代は私にとってかけがいのないとても貴重な時間でした。

私の社会人としての基本はすべて市田㈱の在社時に身についたものです。

 

入社数年後、バブルの崩壊がありました。

山一證券や北海道拓殖銀行の経営破たん等があり、営業マンとして景気の悪化を身に染みて感じました。

市田㈱も例外ではなく、業績が右肩下がりとなりました。

 

会社で人員整理が発表されたのはそんな時でした。

年齢制限を設けて退職希望者を募集することになったのです。

退職人数は決まっていましたので、定員に達しない場合は会社都合退職もあるというものでした。

 

この発表後、社内のムードは一変し雰囲気はいっきに悪くなりました。

人員整理は新聞にも載りましたので、社外からも注目を受けるようになり、

営業業務にも支障をきたしました。

 

発表後、社内のそこかしこで人が集まって情報交換が行われていました。

私は20代で年齢制限に入っていませんでしたが、該当する上司のかたは気が気でなかったと思います。

生活の基盤がなくなってしまうかもしれないのですから気になるのは当然のことです。

 

私は会社存続のため担当部門の営業成績を上げることに邁進していましたが、

残念ながら業績は厳しい状況が続きました。

結局、私が退職するまで人員整理は数回行われました。

ですが、景気が悪い中でも業績を伸ばしている企業もありましたのも事実です。

 

当時の会社の雰囲気、ムードは今でも忘れることはありません。

仕事を失うということがその人にとっていかに重たいものであるか。

いつかは自分の番ではないかと思いながら仕事をするのはとてもつらいものです。

 

その後、私は転職し、小さなアパレル会社で営業をしました。

その会社では大手の得意先が破産し、一時経営が非常に苦しい状況に陥りました。

 

幸い乗り越えることができましたが、仕事を失うかもという思いがありました。

その時ご尽力いただいたのでがその会社の顧問税理士でした。

 

それらの経験で私が思ったことは、

「商売、事業がうまくいくということは、それにたずさわる個人の生活、心の安定につながる」

ということです。

 

その後、私は会計事務所に転職し、税理士を目指す道を選びました。

経営をサポートする仕事には会社全体を見ている税理士が一番最適と思ったからです。

 

弊事務所の経営理念は

 

「お客様の安定的な事業経営の良きパートナーとなる」

 

です。

 

皆様の事業、商売のお伝いをさせていただければ光栄です。

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました。


 

正 木 宏 明